多系統萎縮症(MSA)と診断されワラをも掴む思いで食事を変えた
朋友から教わった食事の改革
多系統萎縮症の病態
ここで私、桑原満弘の病気について触れておきましょう。日赤病院で言われたハンチントン病とは、意識もしないのにいきなり手や脚が不随意な運動を起こす病気で、精神障害、行動異常、認知障害をも伴います。これは、大脳基底核や大脳皮質が萎縮してしまうために生じる症状といわれています。さらに、小脳オリーブ橋底部と中小脳脚、脳幹にも強い萎縮があり、シャイ・ドレーガー症候群や線条体黒質変性症の病変が見られる典型的な多系統萎縮症(MSA)でした。
難病指定されており、手足の筋肉から始まって口喉、呼吸器、内臓、さらに心筋に至るまで筋肉が萎縮して動かなくなるといわれており、発病から5~7年で心筋まで萎縮して他界するという怖ろしい病気だそうです。原因は分っておらず治療法はなく、全国200000人余りの患者が、ただジッと動かずに死期を待つという悲しい病気でもあります。
運命が180度転換した日
私の場合は手足は勿論、身体の筋肉がどんどん減少していって、発病2年間で58キロだった体重が48キロまで減落ち込み、さらに、呼吸器の萎縮をしめす喘息が平成25年から始まりました。不安と絶望による不眠症に加えて激しい咳に悩まされて、精神的に最悪の状態を迎えておりました。
「このままではいけない、何かをやらなければ。あと4年、有意義に生きたい」と思い何度も立ち上がろうとしましたが、既に農業指導者としての道も無農薬土質改良材の販売基盤も失ってしまった私に再生する余地はなく、またも布団の上に倒れ込んでゆく日々を費やしておりました。
運命が180度転換したのは忘れもしない、平成26年11月20日のことでした。20年も以前に親交が深かった友人から、ほぼ15年ぶりに連絡が入ってきたのです。それが本当に突然、スマホがブルッと身震いして、見ると懐かしい文字が浮かんでいたのです。
「マンホンちゃん、生きてる?」という短いメールでしたが、すぐに「生きてるよ、会いたいね~」と返信をしました。この友人、父親を肝臓癌で亡くされて「癌にリベンジする」と、単身台湾や中国に渡って薬膳キノコの研究に没頭していた人です。その間、私も何度も研究の場に飛んでお付き合いをしていたのですが、ちょっとしたトラブルが原因で仲違いしたままだったのです。
マンホンとは私の姓名「桑原満弘」の「満弘」の方の中国語読みです。そして待ち切れず、その日の昼には地下鉄姪浜駅での再会を果たしたのでした。
「いや~、生きてて良かった。今朝方な、マンホンちゃんの夢を見てね。大きな農業ハウスの中に積んだワラが燃えていて、近寄ってよく見ると、中で叫んでるのがマンホンちゃんでね。助けて~て大声で叫んでるけど、煙がもうもうとしててね。これはもうダメだっていう夢なんだ。夢枕に出たということは、ひょっとしたら、って思ってメールをしたんだ」と友人は安堵した表情を浮かべています。
不思議なもんですね、10年か15年前ごろか博多駅ですれ違って、携帯電話番号を交換しただけで農業指導の話しなんてしてなかったのに。突然と、農業ハウスで死にかけてる私が浮かんでくるなんて。
「ばっちり当たってます、本当にもう死にかけてますよ」と、私もちょっとだけ身に降りかかっている現状を話しました。
友人が研究する冬虫夏草という食事
友人の研究してる「冬虫夏草」という薬膳キノコに、とても引きつけられました。冬虫夏草が発生する培養基という容器の重さが150g/個と軽い。これを棚に並べて、後は肩掛け式の小型噴霧器で霧吹きをするだけで、2~3ヶ月経つと冬虫夏草が収穫できる。これなら負担にならないし衛生的だし、身体に障害を持つ私たちだって事業にすることが出来るかもしれない。真っ暗闇だった私の行く手に、ポッと小さな灯りが点りました。
早速、仲間を探して会社づくりに着手しました。元気だった頃の取引先を廻っては「冬虫夏草の事業に参加して欲しい」と協力を頼んで廻る日々が始まったのです。大きな夢があるから、その間、多系統萎縮症(MSA)のことは忘れていたようです。動かない身体を無理やり自動車に乗せて、仲間のもとに出向きました。
早々と以前の仲間が集まってくれて会社を設立、栽培に必要な資金集めを開始したのですが、残念ながら営業成果は一向に上がりません。10人以上のパートナー希望者に冬虫夏草の栽培を見学させて必死に説得を試みましたが、だれ一人として協力してくれないのです。
「こんなはずではなかったが・・・」会社を立ち上げた仲間も去り、一人残された私は現実の厳しさと、夢破れて再びあの暗闇に引き戻されることの恐怖感とを感じておりました。
食事革命する以外に生きる道なし
「マンホンちゃん、無理だよ」
今まで黙っていた友人が、強い口調で語りかけて来たのです。
「どんなに頑張ったって今のマンホンちゃんを見てると、冬虫夏草が身体に良いものだとは思えないよ。脚を引きずって杖にすがって、喘息と言語障害で何を言ってるのかも分からない。『冬虫夏草が身体に良いのなら、あなたの病気も治るだろう』って、皆さんは思っているに違いない」とおっしゃるのです。
その通りですね、身体が動かないほど重病の私が「身体に良いよ」って説得しても、誰だって「じゃあ、自分で冬虫夏草を食って元気になれよ」と思うだろう。真実をえぐり出すような友人の言葉に、私はますます落ち込んでしまいました。
「どうすれば良いですか?」
もうあの暗闇には、戻りたくない。すがるような思いで問うたところ、即座に「マンホンちゃん、この冬虫夏草を上げるから、欺されたと思って続けてみなさい。それで身体が良くなってから営業活動を再開すればいい。そうなったらお客さんもついてくるから」とおっしゃるのです。
友人は薬膳キノコの研究、冬虫夏草の普及事業の旁ら、薬膳についての知識も持ち合わせていました。台湾に始まって中国に渡って合計12年の研究、加えて奥さんが九州大学と同大学院で農業を専攻し、故郷の一族の多くは中医を指導する家系ということですからプロフェッショナルといっても過言じゃない。
慢性病に苦しむ多くの方に「食事革命」を提唱して、私のような難病で苦しむ人々に食についてのアドバイスを与えているそうです。
「マンホンちゃんの体調は食事で改善できるぞ」と、収穫したばかりの冬虫夏草を粉末にしたものを手にとって「これを毎朝スプーン1杯。亜鉛というミネラルを含んだ食材に、そして消化しやすいアミノ酸の供給源として半熟卵を毎食1個、キクラゲ、ビタミンやミネラル豊富な小松菜をたくさん食べるようにしなさい」その上で「食品添加物は絶体に体に入れたらダメだよ」とのアドバイスでした。
えっ、たったこれだけ?
近代医療のトップを走る日赤病院でも九大病院でも「治らない」と宣告され、難病指定されている私の病気が、たったこれだけの食の改善で良くなるわけないでしょう。
内心、眉唾ものだとも思いました。そもそも健康食品を売る方は売りたい一心で「ガンが治る、糖尿病も治る、高血圧も良くなる」と誇大広告ばかり並べるのですから、信用できません。
友人は、冬虫夏草の栽培が専門だから私もそれを倣おうと思って下半身を引きずりながら頑張ってるのに、結局は冬虫夏草を売りつけるつもりだったのか、栽培の夢も希望も失って困惑している、この私に。
むらむらっとした私に対して、友人は平然と「マンホンちゃんだから一切、金は取らないよ」というのです。
そう言われれば、怒ってもしようがないというのが私の立場です。だって、平成22年1月に九大病院の権威の教授がおっしゃった宣告を指折り数えてみると、私の命はあと2年を切るくらいなのだから、文句も言わずに「食事革命」をやるしかないということです。平成28年5月の連休明けのことでした。