アメリカはネクローシス医療だった
ベトナム戦争を撤収し財政難に陥ったアメリカにとって、年毎に増加を続ける癌には非常に頭を悩ませており、そして1972年に「アメリカがん対策法」を施行することとなりました。
ニクソン大統領が癌による死亡率を半減しようとして従来の医師や製薬会社に新治療法を試みたのですが、癌は減少するどころか、ますます増加したのでした。
ウオーターゲート事件の発覚でニクソンが失脚し、大統領がジョン・フォードに代わったのを機会に方針転換をして、副大統領のジョージ・マクガバン上院議員が提案した「食事革命」を政策の中心としたアポトーシス医療へと方針変換したのです。
戦争終結によって不況になり、さらに、この政策によって国内需要まで落ち込むことから、製薬業界は一気に経営危機に陥りました。そこでアメリカ政府は、救済策として日本にアメリカ医療を推進するようにとの要請をしたと言われています。
日本は敗戦国でありながら沖縄返還を果たしており、経済も上昇機運にあったことから、アメリカの要請を気持ちよく引き受けたのでした。