ヒポクラテス 横顔
 
 
医聖と呼ばれるヒポクラテス
紀元前5世紀、古代ギリシャには2つの医学が存在していました。細胞代謝を基本とするヒポクラテス派(コス派)に対し、病気の原因となる異常な細胞を切除するネクローシス医療のクニドス派。この2つの医学は競い合いながら、ヨーロッパ全体に広がってゆきました。
治癒に時間をかかるヒポクラテス派に比べて、治療時間の短いクニドス派という特徴がありましたが、次第に、治療ミスの多いクニドス派は大衆に好まれなくなり、姿を消していったのですが・・・

 

 
ヒポクラテス派(コス派)
「西洋医学の父」として有名なヒポクラテスが活躍していたのは、紀元前5世紀です。ヒポクラテスは、体液に変調が生じた時に病気になるという「四体液説」を唱えました。患者のおかれた環境(自然、食事、政治)が体液に及ぼす影響について詳しく研究して、食事療法、自然療法といった上述の環境変えるという方法を取り入れる、アポトーシスで病気を治しました。
 
 
クニドス派
その当時の西洋医学は、クニドス派とヒポクラテス派(コス派)という2つの学派に分かれていました。
クニドス派は診断を重視して病気を詳しく察知し、身体のどの部位が病気に罹ったを特定してそれを切除するという現在の医学(ネクローシス)に近い方法でした。ところが、当時のギリシアでは人体を解剖することが禁じられていたことから診断が曖昧であったといわれ、結果として誤診が多かったようです。

 
世界大戦とクニドス派の台頭 
19世紀になると世界中で戦争が勃発(上は第一次世界大戦)したことから、戦地における早急な治療効果を期待されて、2500年も眠っていたクニドス派が再び台頭し、それに連れてヒポクラテス派は衰退してゆきました。検査機器の急速な進歩もあって悪化した部位を簡単に見つけられる技術も発達したことから、クニドス派は悪い部位を排除するネクローシス的な治療で切除して次々と成果をあげてゆきました。
これに対し、体力が回復するための時間を必要とするヒポクラテス医学は戦地には受け入れられませんでした。 戦地で認められたネクローシス医学ですが、現代に活躍するアスリートにとっては、大切な筋肉や
臓器を切り取ることから体力の低下が明らかであり、よって治療とスポーツの両立を目指したいアスリートにとっては、取り組みにくい選択だと言わざるを得ません。

ネクローシスと二次的炎症
一例を挙げると抗癌剤を使う際には、癌化した細胞の壁に化学的損傷を与え壊死させるのですが、この際に漏出した細胞内液・プロテアーゼが周囲に飛び散って健常細胞の遺伝子を傷つけることが心配されます。
そうなると傷ついた細胞が、新たな多数の癌の因子になる(上絵)ことが指摘されています。体内の炎症や癌の因子を増やしながらの猛練習は、いくら馬軍団といえども耐えることが出来ません。

 

 
ヒポクラテス派の医学 
一方のヒポクラテス派は、病気が進行した場合にどのように変化するか、すなわち生存できるのか死亡するのかという予測をたて、経験や観察に基づいて判断する方法(予後の診断)で効果的な治療を施していたといわれています。

アポトーシスをより詳しく
筋肉であれ内臓であれ髪であれ爪であれ骨格であれ、これら全ては細胞の組み合わせによって形成されています。これらの細胞は常に細胞分裂して、新しい細胞が誕生すると古い細胞は死滅するというプログラムされた機能が付いています。この機能のことをアポトーシスといいますが、このお陰で、我々の生体は常に若々しさを保ち続け健康を維持することができます。
各々の細胞に備わっているこの機能が衰退したり止まったりすると、我々の身体は病気になって老化が進み、やがては死を迎えることになります。


 

癌細胞はアポトーシスする
上は培養した肝臓癌細胞(人間)ですが、これに広島栽培地と山口栽培地で収穫したBGS冬虫夏草0.10%水溶液を添加して48時間後の状態を顕微鏡で写真撮影(右)したものです。このデータを見ると、破砕された細胞やその断片、白血球やマクロファージなどの貪食細胞も確認できないのに、48時間後には85%もの癌細胞が消滅しているのが分かります。この結果から、冬虫夏草には癌細胞をアポトーシスさせる特性が有るのでは、との期待が膨らみました。

アポトーシスそれともネクローシス
慢性病といわれる体内の病巣を取り去るのに、大昔から言われていたアポトーシス的治療とネクローシス的治療・・・
あなたやあなたのご家族は、アポトーシスを選びますか、それともネクローシスを選びますか、それとも、アポトーシスとネクローシスの両方を選択しますか?

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