日本人の内科的データを3年に亘って収集したアメリカの医療施設に費用を提供したのは誰か?
日本を支配したアメリカ医学の真相
ABCC(原爆傷害調査委員会
)
の謎
大戦直後(1945年)、原爆が投下され焼け野原になった広島市街地の東方に位置する比治山(標高71m)の頂上広場に突如、銀色に輝くカマボコ型の施設が建った。この建物群は原爆被害調査を名目にしていたが、被爆者を治療した形跡は一つも見当たらず、むしろ、健常な日本人の内科的データを収集したものと見られている。施設は米国科学アカデミー(民営)が開設し数十人の医学者が勤務していたそうだが、その費用はアメリカ原子力委員会と
国立癌研究所
、
国立心肺血液研究所
から資金提供
を受けていたという。
敗戦国家・日本の悲哀
これを境に敗戦国日本の医療は完全にアメリカに支配され、その直後から、癌や心臓疾病などの死亡率が上昇(
100年
統計グラフ
)し始めている。そして70年たった今でも癌死と心臓病死の勢いは止まらず、国民医療費の高騰どころか国家消滅という社会不安をも抱えるようになっている。死亡原因1位の癌に対する抗癌剤と死亡原因2位の心臓病に対する血圧降下剤が、この施設で計画されテストされていたとするなら、アメリカ医学の恐ろしさは計り知れない。戦争も敗戦も知らない若者たちがこの事実を知るなら、自分や家族の身を守るために何を考え、どのように行動するのだろうか。
食事革命ガイダンス