国内で栽培する冬虫夏草

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癌細胞 vs. 冬虫夏草 どっちが強い?

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上は、癌細胞の活性を調べる顕微鏡写真です。左が肝臓癌細胞の培養100%、右は冬虫夏草水溶液を投与して48時間後の写真です。これから分かるように、僅か1回の投与で2日後には85%もの癌細胞が消滅しています。この結果が直ぐに「癌が治るとか、治らない」ということには関係しませんが、明らかに癌細胞VS. 冬虫夏草の対決は、冬虫夏草に軍配が上がったということが分かります。
この冬虫夏草とは何なのか、どこからこのパワーが沸いているのか等、冬虫夏草の不思議を、このサイトで解明してみることにしましょう。

冬虫夏草って何だろう?

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冬虫夏草とは、昆虫に寄生して栄養分を吸収しながら菌糸を育て、暖かくなると発芽して、地上に姿を見せる子嚢菌門バッカクキン科のキノコです。バッタやアリなど昆虫の異常繁殖をくい止めてきた天賦の備えでもあり、世界中では約400種類が発見されていますが、そのうちの360種が日本でも発見されています。そして、この中でもっとも有名で希少で高価で華やかな歴史を彩ってきたのが、チベットで採れる冬虫夏草でした。
本サイトでは、4500年という悠久の歴史を振り返りながら、冬虫夏草の素晴らしさとその開発について探ってみたいと思います。
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5000年前から冬虫夏草

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有史4500年にわたって健康長寿・美容・パフォーマンス向上と、めざましく効果を示し続けてきたスーパーキノコに近年、異変が起きています。大気汚染と乱穫が影響して、もとより希少だった天然の冬虫夏草がさらに激減。そして様々な技法による、冬虫夏草の人工生産(栽培)の時代が到来しているのです。
このサイトでは、冬虫夏草の研究24年目を迎え、国内最大の栽培量を提供している栽培者グループの支援をつづける(一般社団法人)日本自然療法協会・川浪理事長の監修によって、冬虫夏草の真相の全てを公開してゆきます。
冬虫夏草の始まりは4500年前。チベットの秘境に育つ小さなキノコを巡って、2人の英雄が激突しました。平原の覇者・黄帝と、片や、山岳地帯を支配する炎帝(神農)です。小さなキノコの大産地・西蔵高原(チベット)の争奪戦は、壮絶な戦いとなりました。両者譲らず、このままでは共倒れしまうと懸念した黄帝は「あなたの薬草の知識を後世に伝えてゆこうではないか」と、炎帝に持ちかけました。
炎帝が譲歩して和睦が成立し、協力一致して、体内治療に関しては「黄帝内経」を、外傷については「黄帝外経」を、また薬膳の利用法については「神農本草経」をまとめあげたのでした。こうして貴重なキノコ・冬虫夏草が、歴史に強烈で神秘なる姿を現したのです。
それから2000年の時が過ぎて、今から2500年前にさかのぼる秦王朝の時の驚きの史実を紹介しましょう。万里の長城を築き、数百万という兵馬俑で都・西安の防御を固めた、漢民族最強を誇る始皇帝の逸話です。

冬虫夏草と秦の始皇帝

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司馬遷がまとめた始皇帝録「史記118巻・淮南衝山列伝」には、子供の頃から身体が弱かった始皇帝が権力を握るにつれて不老不死を強く願うようになったとあり、斉国の方士・徐福に命じて、冬虫夏草を国内で栽培できる施設を作ろうとしていた様子が記されています。始皇帝は秦国最東端の天尽頭と呼ばれる岬の突端に、徐福の航海の無事を祈る廟を建てて帰還を首を長くして待ちました。しかし徐福は帰らず、失意の始皇帝は西安の都に引き揚げる途中で49才の短い命を終えたのでした。

楊貴妃と冬虫夏草

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そして1000年の時が流れ過ぎると、かの有名な唐の時代がおとずれます。当時編纂された「旧唐書」をひも解いて、世界三大美女として有名な楊貴妃について、検証してみましょう。
第16代皇帝・玄宗の皇太子の嫁となった楊貴妃ですが、一目惚れした玄宗の熱烈なラブコールを受けてお蔵換えをしてしまいました。

玄宗から「褒美を取らそう」といわれた楊貴妃は、冬虫夏草とライチ(木の実)とアキョウ(ロバの背脂)という究極の美容食を「毎日食べさせてほしい」と願い上げたのです。
当時は冬虫夏草を「仙草」と呼びましたが、楊貴妃は最上級ランクの「天草」を所望したともいわれており、収穫には数万の兵士がかり出され、早馬が駆け抜ける西安からチベットまでの専用路まで作らせたと伝わっています。
贅沢三昧が災いして、絶大だった唐王朝もやがて財政困難に陥りました。この時とばかり、楊貴妃に恋いこがれていた北方軍総司令官の安禄山が謀反の兵を挙げ、今こそ楊貴妃を手に入れんと想像を絶する速さで都・西安に迫りまったのです。西安の陥落を目前にして逃げのびる途中に36才を迎えた楊貴妃は、近衛兵たちによって捕縛され処刑されました。1350年さかのぼる西暦756年6月のことでした。

朝鮮半島でも有名な冬虫夏草

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時は中世に飛んで、今を500年ほどさかのぼる朝鮮王朝。
韓国正史を伝える「朝鮮王朝実録」によると、第11代国王・中宗は医女の徐長今(ソ・ジャングム)を宮廷に入れて家族の医療を取り仕切らせた、と記載されています。
NHKが放映したドラマでは瘡という病気に苦しむ朝鮮王を看病するチャングムの設定で、空前のヒットを記録しました。「瘡」とは、身体中に腫れ物が出来る不治の病。根が内臓にあるといわれ、切っても切ってもまた出てくる厄介な病気で、最後には腫瘍が多発して衰弱死するという難病です。第20話ではチャングムが冬虫夏草と赤蟻を浸した酒で朝鮮王の病苦を鎮めようとしました。
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5000年の宿願だったチベットを中国が占領したのは、1950年のことです。チベットが有史以前から独立主権国家として存在していたことは明白なのですが、歴代の王侯権力者が抱き続けてきた夢、すなわち「不老不死と永遠の美貌」という不滅の欲望を、何としてでも手に入れようとする執念の行動だったのでしょう。これによって永年に亘って権力のシンボルだったチベットの冬虫夏草を中国は独占したのでした。

スポーツ大国に押し上げた冬虫夏草

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時は、現代に移ります。チベットの冬虫夏草を手に入れた中国は、国威高揚を目指してオリンピック選手強化に取り組みました。強化のヒントになったのは、1993年の陸上競技世界大会で金銀銅メダルを総ナメしてセンセーショナルを巻きおこした馬軍団と呼ばれた女子陸上競技チームです。「冬虫夏草とスッポンのスープを飲みながら猛特訓に耐えた」という彼女たちに倣って、強化メニューに冬虫夏草をとり入れたのでした。
 結果は、明らかでした。アトランタで行われた1996年にはわずか16個だった金メダルが、2004年アテネ大会ではロシアを抜き去って32個に、そして2008年北京大会ではアメリカに大差を付ける51個を獲得して、念願だった世界の頂点に立ちました。
 中国の金メダル急増は世界のスポーツ界にとっても極めてショッキングなことで、改めて冬虫夏草の神秘性を認識したのですが、余りにも希少なことから北京や大連の薬房では、冬虫夏草を買い求める外国人の輪が重ったほどです。さらに、欧米の華僑が営むチャイニーズ・ショップでも、冬虫夏草の購入を切望するスポーツ関係者による予約が殺到して、取引価格が天井知らずの高騰を続けました。

チベットの冬虫夏草が凄い

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わずか12年で金メダル獲得数を3倍強に伸ばし、世界一のスポーツ大国に押し上げた冬虫夏草に世界中から熱い視線が集まり、バイヤーたちは大産地のチベットにヘリコプターで押しかけ、死にもの狂いで買い付けを試みました。北京オリンピック前にはキロ当たり80万円ほどだったチベットの冬虫夏草。オリンピック直後には早々とキロ当たり800万円という高値で取り引きされるという異常事態。採っても採っても、より高値がついて売れてゆくのです。
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ところが、中国の近代化は山奥にまで及んで工場が建ち並び、環境破壊は猛烈なスピードで進行していました。春になれば地域住民は総出で山に入りこみ、防塵マスクを装備して眼の色を変えながら冬虫夏草を探し回る(上の写真を参照)。大自然の楽園だったチベットにも大気汚染が広がって、それでなくても希少だった冬虫夏草が全く採れない状態になりました。バイヤーたちはチベットからブータン・ネパール・ミャンマーへと冬虫夏草探索の手を伸ばしていますが、その一方で始まったのが冬虫夏草の人工生産でした。

ニセモノ冬虫夏草でボロ儲け

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生薬市場からチベット産が消えて、代わって様々な地域からいろんな冬虫夏草(?)が集まり始めました。セミや蛾の幼虫、サナギに寄生したもの、上の写真のようなサナギに菌糸を注射して発生させたもの、稲米から発生させたもの、最悪は小麦粉やグルテンを固めて焼き色を付けた紛い物までも出まわっています。
漢方市場の様子も一変して、メーンが人工生産した冬虫夏草になり、これをチベット産と偽って取り引きする業者が急増しています。
残念ながら、どれもこれもチベット冬虫夏草5000年の栄光を激しく傷つけるシロモノでしかありません。そして4~5年、冬虫夏草といえば、誰もが「臭い、汚い、効かない」と目を背けるようになりました。

 

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